2014年4月30日水曜日

2014年4月に見たいくつかの映画

今月はブログに感想書いた映画4本、プラス3本。合計7本鑑賞しました。

イベント関連で見た映画が多かったです。
まず、「ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!」はお友達が映画にちなんだ飲み歩きイベントを開いたので、事前に見に行きました。その飲み会に参加し5軒はしごした後に見たのが「5つ数えれば、君の夢」。酔っていたせいもあり、とても気持ちよく女子流女同士の世界を楽しめました。私の中では、女版「風と木の詩」という印象。
「白ゆき姫殺人事件」はシネマテーブルの課題作品だったので見ました。賛否別れる映画で、会が盛り上がってよかったです。
ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!

成長しないのは俺だけでいい

監督エドガー・ライト
原題:The World's End





















5つ数えれば、君の夢

女子流ファンの「君って美意識高いよね」

監督:山戸結希

白ゆき姫殺人事件

美人は性格がいい論、わりと信じてます

監督:中村義洋

2014年4月23日水曜日

サンブンノイチ(119分)

監督:品川ヒロシ
窪塚くんなら、余裕で川崎を支配できると思うよ

品川ヒロシ監督作品、以前ウィークエンドシャッフルで扱われた「漫才ギャング」ぶりに見ました。処女作「ドロップ」は見ていませんが前作「漫才ギャング」にあまりいい印象がなかったので、今回もあまり期待してませんでしたが、けっこう楽しくみれました。
この映画、なんといっても窪津洋介がよかった!なんつーんですかね、窪塚洋介という役者が画面にいるだけで、映画のフィクションラインがさがる感じがします。哀川翔のモノマネで決めゼリフを言う人物とか、普通だったら「何、おちょけとんだ!」ってイラっとすると思うんですけど、「窪塚くんなら、そうだよね~」という具合で飲み込ませてしまう謎の説得力。池畑慎之介との対決で、「その歳で性癖を変えれるとはすばらしい」とかしこまるとことかも、おかしかった。「便利だから」という理由で使用している凶器アイスピックを使ったアクションシーンも、その前の会話と筋が通っててよかったです。
15年ほど前の窪塚洋介全盛期(?)には、「また、窪塚くんこういう役か・・・」とちょっとマンネリを感じていましたが、この「サンブンノイチ」で窪塚洋介という稀有な存在感の貴重さを再認識しました。
劇中何度か映画ネタが会話に引用されるんですが、窪塚くんが「自称映画好きは、他のやつは映画を観る目がないと言う。他のやつが言うことなんか聞いちゃいない!俺は年に二本くらいしか映画を観ない!一番好きな映画は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だ!しかしそれもベタ過ぎるとか批判をされる。俺はそうほざくやつが大嫌いだ!」と言い放つのは、「どーせ、自称映画好きはこの映画を評価しないだろう。でも、そんなこと知ったこっちゃない」という品川監督の叫びのようにも聞こえました。松本人志監督「R100」でも、こういう「お前らにはわからないだろ」っていうメッセージが込められていると思える描写があるんですが、こういうのいれちゃうのは芸人監督の手癖みたいなもんなのかな。
でも、「サンブンノイチ」で映画話をする描写は好きでした。特に藤原竜也が中島美嘉を抱こうとしているのに、中島美嘉が延々クリスチャン・スレーターの話をして藤原竜也が萎えるエピソードがよかった。機会があれば、私もそういう非道やってみたいな。

2014年4月19日土曜日

アクト・オブ・キリング(121分)

監督:ジョシュア・オッペンハイマー
原題:The Act of Killing

演じなければ、気付くことない罪もある

1960年代にインドネシア国内で行われていた100万人規模の大虐殺。その事件自体まったく知らなかったので、その事件自体の内容とそして現在その加害者たちが優雅に暮らしている様子にとてもおどろきました。自分たちが過去に行った虐殺を嬉々として演じる男たち。自分の今まで知らなかった事実を、見たことのない視点で見せてくれる、、、映画という媒体が持つ素晴らしさをあらためて感じました。
映画がこの形式で作られた経緯「人権団体の依頼で虐殺の被害者を取材していたが、当局から被害者への接触を禁止され、対象を加害者に変更。彼らが嬉々として過去の行為を再現して見せたのをきっかけに、「では、あなたたち自身で、カメラの前で演じてみませんか」と持ちかけてみた。まるで映画スター気取りで、身振り手振りで殺人の様子を詳細に演じてみせる男たち」にまずびっくり。被害者にとってはいまでもおおっぴらに話すことがはばかられることなのに、加害者にとっては歴史の1ページに自分が登場したかのような英雄譚。エンドロールで並ぶ「ANONYMOUS」というアルファベットに「インドネシアって、同じ名前の人多いなー」ととぼけたことを考えていたのですが、鑑賞後調べると「ANONYMOUS=匿名」という意味でインドネシアではこの映画に協力をしたことがばれると命の危険がともなうための措置ということでした。つまり、大虐殺が行われた要因はまだインドネシアの中にあるということです。とはいえ、日本におきかえて考えて、関東大震災の際にあった在日朝鮮人虐殺や現在もある在日差別を考えると、決してこの要因に含まれる心理は人ごとではない。大きな事件があると、それに便乗して脈絡のない理由にて誰かを脅かすことで、立場を得ようとする人がいる。そんなひどいことはありえないと思っていても、起こりうる問題で、意識してそれを排除しようとしないと自分が加害者になる恐れも被害者になる恐れもある気がして怖くなりました。
大虐殺を演じる中で各加害者ごとに心情の違いが出てきますが、とはいえ、程度の違いはあれみな一様にどこか楽しそうに演じている。
自分が被害者役を演じる中で、主人公のアンワル・コンゴは「自分のしてきたことは罪」であることに気づいてしまい、過去の殺人現場に行き嘔吐を繰り返しますが、彼に生まれた罪の意識に「希望」「絶望」のどちらも感じました。視点をかえてみることで自らの罪に気づかせることができるという「希望」。根っからの悪人ではない彼のような人が歴史という大義名分の中では、自らを英雄にして罪のない人への大虐殺を行えてしまう「絶望」。しかし、なんで彼は孫に自分の被害者シーンを見せたがったのだろうか。かわいい孫の前では、強い男ではなく、やさしい男を見せたいのだろうか。

2014年4月9日水曜日

ローン・サバイバー(121分)

監督:ピーター・バーグ
原題:Lone Survivor
その手を信じることができるか

山中でおこなわれるはげしい戦闘を手汗だくだくになって鑑賞しました。
たびかさなる「移動」という名の「落下」行為をみたせいで、鑑賞後は太ももに軽い筋肉疲労を感じました。「下に移動だ!」って、谷から落ちて木に身体中がぼんぼんぶつかってと、「お前はすでに死んでいる」っていう絵面なのにそれでは死なないお前らまじすごいよ。さすが、シールズです。

2006年に実際にあった「レッド・ウィング作戦」この事件自体知りませんでしたが、彼らが窮地におちいったきっかけも、唯一生存者したマーカスの生を決めたきっかけも「良心」がキーになっていたのが興味深かったです。
アフガニスタン山間潜伏中に現地の羊飼いに遭遇し、彼らを殺すか逃がすかという選択を自らの「良心」によって選び、逃がした彼らがタリバンを呼び窮地におちいるシーン。戦闘行為中には、敵である可能性があるものに「良心」による働きかけをすることが、仲間の命を奪いかねないとその決断の難しさを思い知らされました。
しかし、他の仲間が全員死に救助にきた空母も撃墜された絶望の中、マーカスは森で遭遇した言葉も通じないアフガン人の「良心」を信じることで彼の手をつかみ、そしてマーカスは助かることに成功します。あの時点ではもう「信じる」しか選択肢がなかったといったらそれまでですが、唯一の生存者が「良心を信じたこと」により助かったのには大きな希望を感じました。
緊張感ある展開が続く映画でしたが、終盤アフガン人に匿われたマーカスがアフガンの子供に「アイ ニード ナイフ!」と必死に呼びかけ、それを理解したかのように見えた子供がガチョウを持ってきたのにはほっこりしました。そして、「ノー!ナイフ、ナイフ!」というマーカスに、今度は男がナイフを持ってきて「やっと通じた!」と安心するやいなや、男がガチョウの首をちょん切ろうとするところには思わず笑ってしまいました。言葉が通じないことのもどかしさを感じながらも、マーカスの言葉を一生懸命理解しようとする2人に胸がうたれました。

2014年4月3日木曜日

LEGO(R) ムービー(100分)

監督:フィル・ロード/クリストファー・ミラー
原題:The LEGO Movie
レゴだって、自分探し

2D・吹替で鑑賞しました。「くもりときどきミートボール」「21ジャンプストリート」のフィル・ロード&クリストファー・ミラーのコンビということで、「これ、絶対おもしろいヤツや!」という期待がありました。期待通り面白かったです。
多層的な世界を描きながらも、複雑さを感じさせないところがうまい。「上の方」という表現が序盤から出てくるので「人間出てくるヤツかな?」と予想はしていましたが、「大いなるパーツ」の正体が接着剤のかぶせ蓋だったという展開にはおどろきました。つーか、ふたをかぶせる接着剤が爆発することがあるって、そんなのはじめて知りました。中身が膨張して、爆発するのかな?
同僚たちにさえも「どんなヤツだったっけ?」「あいつには特徴がないよ」と言われる凡人:エメットがヒーローになる姿に、私の大好きな凡人ヒーローの名作「SUPER!」を思い出しました。「SUPER!」は凡人がヒーローになりきったことで周りからは狂人にしか見えなくなるという哀しさがありましたが、今回は「2段ソファ」や「なにかまわるものにつけて!」と言われて何も思い浮かばず自分の頭部パーツを車輪につけるなど凡人ゆえのアイデアで窮地を乗り切るところなど、クールさやクレバーさはなかったとしても誰にでも「人にないもの」があると感じられ、存在に元気づけられるヒーローでした。
数々の名前を自らにつけてきたというワイルドガールが、終盤に自分の本名「ルーシー」を明かすとともに「自身が「選ばれし者」になりたくて、「大いなるパーツ」を探していた」ことを告白するのもグッとくる展開でした。その彼氏役、黒とスピーカーにこだわるバッドマンは登場から終盤までずっとイイ男だったから、別れちゃもったいないと思います。