2012年10月26日金曜日

ツナグ(129分)

監督:平川雄一朗
原作未読で鑑賞。なんか気持ち悪い映画でした。
なんで気持ち悪く感じたか考えてみたんですが、理由は大きく3点あります。

まず、これは原作の問題なんだと思うのですが、ストーリーの導きだす哲学が気持ち悪い。
ツナグ継承者の主役:松坂桃李が至る「死んだ人って生きてる人のためにいるんだ」っていう哲学。いや、その哲学も間違っちゃいないと思うけど、「ツナグ」の仕事をやる人は生者側に偏って立つのではなく中立的な立ち位置でいてほしい。そういう考えの人が架け橋になるというのが生理的に解せませんでした。
次の理由は、心の声が聞こえすぎなコト。主役:松坂桃李の心の声が聞こえてくるのはまだしも、依頼人:橋本愛が後悔で泣き崩れるシーンでその思いが大声で聞こえてきたのにはビックリ。
あまりに登場人物の心の声が聞こえてきすぎて、平川雄一朗監督に映画を見る側の想像力が信頼されてない気がしてきてしまいました。監督、もっと信頼してもらっていいですよ。
で、最後の理由はエンドロール。日食の風景をバックに詩「最上のわざ」が樹木希林により朗読されるエンドロールがなんとも不気味で。「最上のわざ」自体はとても良い詩なんですが、、、映画の内容がエンターテインメントなだけに宗教プロパガンダ映画的な怖さを感じました。でも、映画129分みて思い出されるのはあのエンドロールことばっかりなので、アレはアレでよかったかもしれません。

引用される詩 <最上のわざ>ヘルマン・ホイヴェルス

この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう--。
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること--。
老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために--。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事--。
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ--。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために--。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と--。