2013年12月14日土曜日

かぐや姫の物語(137分)

監督:高畑勲
生きづらささえ生きる喜び

予告編にて墨汁で書かれたような輪郭をまといおそろしい顔で走り抜けていくかぐや姫を見て、これまで見たことのないタイプのアニメーションの迫力を感じていました。予告編が台詞抜きだったので、アートっぽい映画なのかなと思っていましたが、生々しい心情吐露とともに生き辛そうなかぐや姫を描きながらも、生きる喜びを感じさせてくれる映画でした。
幼少期のかぐや姫が翁と媼の近くでかえるのモノマネをしながら成長を見せるシーンが、赤ん坊が成長していく姿のかわいらしさとそれを見守る者の喜びがあふれていて好きです。縁側から落ちたかぐや姫が2本足で立ち上がる姿を、驚きと喜びの顔で見守る翁と媼の姿がよかったです。顔を真っ赤にして、「姫!姫!」と手をたたいてかぐや姫を呼び寄せる翁の必死な顔もよかった。
かぐや姫の幸せを祈り高貴な姫という像を彼女に押し付け、どんどんかぐや姫を生きづらくしていく翁を見て、古今東西かわらぬ女性の普遍的な悩みを感じました。「すべてを忘れて他の場所に行ければ、楽になれるのに・・・」とかぐや姫は願い、はからずもそれを叶えてしまうわけですが、結局悩みを捨てなければいけない瞬間にはその生き辛さでさえ愛おしく手放し難い気持ちになることが伝わってきました。結局この生き辛さと付き合っていくことも、生きる喜びのひとつなのかもしれません。
あと、しょうもないことなのですが、幼少期にパンツをはかずにおしり丸出して暮らしていたかぐや姫が捨丸に肩車されたシーンで、「おい、それ、具があたってんじゃねーか!?」とちょっとへんな気持ちになりました。帝のアゴがすごい長いのも気になった。あんなのに後ろからいきなり抱きしめられたら、アゴがささって痛いでしょうに。
あと、月からのお迎えがこないだ見た「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語」のアルティメットまどかの一団にすごい似てました。つーか、かぐや姫の穢れが円環の理の中に浄化されたと考えれば、この2つは姿形以外も結構類似してるかもしれません。